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和歌といえば、思い出すこと
2006/05/26(Fri)
今日の読売新聞の1面、編集手帳には、昔の和歌を引用して、鰯の値段が高騰したことが記されていました。昔の人は、和歌を詠むのがたしなみだったんですよね。そうすると、きっと、脳もよく働いていたことでしょう。今、日本では「脳の若返り」「脳内活動を活発にする」などを目的に、ちょっとした「脳ブーム」ですが、そんな計算やクイズをしなくても、和歌を詠むということは、そのこと自体が、脳を活発に活動させる行為だと思います。まず、詠み人の感性が豊かでなければ、和歌は詠めません。人の和歌にも感動できません。さらに、短い語句の中に自然の情景や自らの心情を込め、なおかつ、掛詞などの技巧も凝らし、時には当意即妙、相手の和歌に対して返歌も詠むのです。こんな作業を日々こなしていたら、きっと感受性の豊かな立派な脳が育つと思います。

最近人気のお笑いだって、その場の雰囲気を読んで、素早く反応し、人を笑わせることができるようになるには、言葉に対する敏感さが必要です。きっと一日二日で習得できるものではないでしょう。日頃の訓練こそが、あの絶妙の間でのジョークを生み出しているはずです。

話は逸れましたが、和歌です。そうそう、和歌といえば、私にはちょっと苦い思い出があるのです。高校生の時の話です。学校の行事で、私たちは山登りをしました。そして、その後の国語の授業で、その時の感想を和歌にしなさいと言われました。私は、まじめに和歌を作りました。その時の句は、「登りきて 足を止めれば たらたらと 頬に伝わる 汗の一筋」というものでした。なんで、いまだにこの句をこんなにはっきりと覚えているかというと、この句が学校の新聞に掲載されたからです。私は、新聞担当の国語教師のところに呼ばれました。私が習ったことのない年配の女性のK先生でした。職員室で、すでに印刷の上がった新聞を見せられ、「あなたの句が出来がよかったので、載せましたよ」と言われました。そして、新聞を私に渡してくれました。見ると、そこには「登りきて 足を止めれば たらたらと 頬に伝わる 一筋の汗」と印刷されていました。最後の「汗の一筋」が「一筋の汗」になっているのです。私は、K先生に尋ねました。私が作ったのは、「汗の一筋」なんですけど、と。すると、K先生は「ああ、それね、その方がいいから変えました」と、さも当たり前のように言いました。私は、びっくりしてしまって、何も言えず、職員室を後にしました。でも、やっぱり、どう考えてもおかしいと思うのです。いくら教師とはいえ、人の作品に作者の断りもなく、勝手に手を加えて、それを公開するというのは。その時、私は、何も言えませんでしたが、今でもそのことを後悔しています。どうしてあの時、「たくさん汗をかいて、その中の一筋が頬に流れてきたんです。だから、汗の一筋なんです」と、言わなかったのか。自分で自分を責めています。そんなわけで、自分で作った駄作をいまだに忘れることができずにいるのです。

高校を卒業してから数年後、K先生に再会する時がきました。教育実習で、母校に戻ったのです。奇しくも、私の科目は国語。指導教官は別の男性の教師だったので、K先生とは接点はありませんでしたが、教育実習の最終日、国語科の教師による教育実習反省会が開かれ、その場で、私はK先生に「あなた、国語科の全部の先生の授業見学をさせていただいたんですか?」と聞かれました。教育実習の期間中に全部の先生の授業を見学することなど、時間的に無理です。それを分かっているはずなのに、そんな質問をするなんて、それは「私の授業を見に来なかったわね」と言っているのと同じでした。私は、その時に、また、和歌のことを思い出しましたが、「いいえ、時間がなかったもので、すみませんでした」とだけ答えました。

もうK先生も退職しているはずです。これから、K先生に会うこともないでしょう。でも、やっぱり、あの時一言「どうして勝手に変えたりしたんですか」と言えなかったことが、忘れられないのです。こんなに長い間後悔し続けているなんて、私って、執念深い女だったんですね~。
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