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最後の授業 その2
2006/08/09(Wed)
とうとう本当にお仕事の終了する日が来てしまいました~。今日は、M社の中国人研修生の日本語クラスの、私の担当する最後の授業です。あ~。思えばあっという間だったな~。授業の準備は大変だったけど、楽しかったな~。研修生たちはお疲れ気味で、居眠りされちゃうこともあったけど、概ねまじめで授業に熱心でした。最後に、記念撮影をしました。中国人も日本人と同じく、記念好きなのかな~。

だけど、つくづく日本語教師になってよかったな~と思います。世界中どこへ行っても、日本語を習いたいという人がいる限りできる仕事だし、本当にやりがいがあります。ただ、授業の準備が本当に大変だけど、それもまた自分のためにもなるし。きっとまた、この仕事を再開したいと思います。

ところで、今日、ダンナさんは韓国へ戻って行きました。台風が接近中ですが、大丈夫でしょう。ダンナさんも、連日よく遊んだので、けっこう疲れているんじゃないかな?これからまた、仕事の日々ですね~。ばんばってちょ~。
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最後の授業 その1
2006/07/27(Thu)
今日のタイトル、フランスのアルザス・ロレーヌ地方を舞台とした小説じゃないですよ。今日、T大学の研究所の日本語クラスの最終日でした。全部で13回×2時間しかないのに、初級教科書の前半が終わっていない状態で初級後半クラスがスタートし、授業のスケジュールに四苦八苦しましたが、ここに週1回通うのは、とても楽しかったです。最後の授業では日本語によるスピーチ発表会が行われ、みんな拙い日本語ながら、質疑応答も活発に行われました。残念だったのは、学生たちが学会やら研究やらでそれぞれ忙しく、今日の出席者が4名しかいなかったこと。でも、この4名はずっとまじめに授業に通ってきた人たちで、最後はみんなで私に昼食をご馳走してくれました。

徐々に仕事が片付き始めています。やっぱり寂しいな~。また再開できる日が待ち遠しいです。

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みなさん、最先端の研究をしている人たちです。
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言っちゃった…!
2006/06/30(Fri)
今日、職場の人に、お仕事を8月で辞めたいと伝えました。ついに、言っちゃった!4月から始めたばかりのお仕事…。未練がないと言ったら、それは大嘘。辞めることについては、かなり悩みました。本当は、夏だけ韓国に行って、秋には私が日本に戻り、大学の後期の仕事を再開させようか…と考えていたぐらいです。でも、昨日、ダンナさんと話をして、きちんと結論を出しました。

結婚前、私はマレーシアで3年、トルコで2年、日本語を教えていました。結婚を機に帰国し、結婚後は日本で日本語教師の仕事を始めようと思っていたのですが、その頃にはダンナさんの台湾赴任の話が決まり、問題は「いつ行くか」だけでした。そのまますぐに台湾生活がスタートすれば、何も問題なかったのですが、長期出張のまま1年も…。お陰で、私も台湾と日本を行ったり来たりの生活で、とても日本で仕事なんて始められませんでした。そして、SARS。これで、半年もの間、私たち夫婦は全く行き来できない状態になってしまいました。SARSが収束し、やっとダンナさんが駐在になって、一緒に台湾で生活できるようになり、月日があっという間に流れました。満喫していた台湾での生活は、思ったより短く、2年も経たずに帰国することになりました。帰国後、学期の区切りがいい4月から、ようやく念願の仕事を始めることができました。なのに、私が仕事を開始したとほぼ同時にダンナさんの韓国赴任が決まってしまいました。しかも、今回は会社は何の躊躇もなく、6月からと…。そんな~!って感じです。

私は、結婚して主婦になって、いろいろ考えることが多いです。専業主婦の生活が充実したものになるために、家族と一緒の幸せな時間があるかどうか、気心の知れた友人が近くにいるかどうか、この二つはとても重要だと思いました。結婚してすぐにダンナさんが台湾に長期出張になってしまい、私は出身地ではない神奈川県で一人ぼっちで生活することになってしまいました。近くに友達も少なく、一日中一人で過ごし、誰とも会話をしない日もあって、とっても寂しかったです。その時に「仕事ができていれば…」と、何度も思いましたが、とにかくいつ台湾に引っ越すことになるかも知れず、仕事を始めることができませんでした。悶々とした毎日。家族に電話を掛けて、愚痴を言ってみたり。このとき、母親に「今のお姉ちゃんは輝いてない」と言われ、とても傷つきました。母も、当時の私のことが心配だったのだろうと思いますが、この言葉にはショックを受けました。でも、どうすることもできない毎日。何かに集中すれば…と、いろいろ始めてみました。でも、やっぱりストレスが溜まって、ことあるごとにダンナさんに当たりました。ダンナさんもどうすることもできず、二人で悶々…。今考えると、あの時は辛かったなぁ…。

それから、台湾では、おかげでたくさんの友達に恵まれ、みんな駐在員の妻という状況で、時間もたっぷり持て余すぐらいあったので、一緒にいろいろなことをしました。楽しくおしゃべりしたり、いろんな習い事もできました。その期間は、心の底から主婦の楽しさを満喫できました。

で、日本では、やっぱり台湾のときとは大きく環境が変わりました。同じマンションの住人でも、奥さん同士、特にお友達になるわけでもなく、私は「また一人で暇になる~」と思い、「今度こそ仕事を始めよう!」と決めたのです。仕事はとても楽しく、やりがいがありました。ですから、今回、仕事を辞めるのは、なかなかに勇気がいりました。始めたばかりで、学校にも迷惑を掛けますし。でも、私がここに一人残って仕事をして、仕事をしたいという欲求が満たされ、ストレスが少なくなったとしても、今度は「ダンナさんと一緒に過ごせないのに、なんで私は一人で仕事をしているのか?」という別の悩みが生じるに違いありません。結局、人間は常にないものねだりをしてしまうのですよね。「今の状況に満足できない」って思ってしまうのですよね。完璧な状況なんて、人生の中で、そう簡単にはやってこないですよね。ここは、やっぱり、夫婦での生活を優先させます。

幸い、職場の人はすぐに理解してくれました。就職試験の面接のときに、「主人がまた海外赴任になったら、その時は私も付いて行くつもりですので、仕事も辞めることになるかもしれません。」と言っておいて、本当によかったです。でも、まさかこんなに早いとは、私も職場の人も、想像していませんでしたけど。

私がこんなことを考えていると、ダンナさんは知っているのかいないのか?でも、昨日「自分のできる範囲で大事にしてあげるから、韓国に来たら?」という一言が聞けて、本当によかったです。その言葉を信じて、行きますからね~!
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悲しいできごと
2006/05/22(Mon)
悲しいことがありました。私が日本語を教えているM社の中国人研修生のWさんが、交通事故で亡くなりました。日本に来て、まだ10日。これからたくさん技術を学んで、日本語ももっと話せるようになりたいと言っていたのに…。金曜日の夜、事故に遭って、土曜日のお昼に息を引き取ったと、日曜日の新聞に記事が出ていました。

今日はもしかしたら、研修はなくなるかもしれない、と思いましたが、会社からは連絡が入らなかったので、普段どおり授業をしなければいけないのだな…と、私も気が重かったです。しかし、授業に行ってみると、外の9名の研修生たちは、健気にも、みんな前向きでした。「みんな、辛いでしょうが、Wさんの分も頑張ろう」と言うと、とても力強くうなずいて、実際、みんないつも以上に勉強に打ち込んでいました。そうすることで、辛い気持ちを吹っ切るしかないと、誰もが考えているようでした。

実は、この事故のとき、9名は全員現場にいました。一部始終を目撃してしまった人もいるでしょう。大学を卒業後、入社して以来、ずっと一緒に研修を受けてきて、やっと夢の日本での研修が始まったばかりなのに、仲間の一人を無残な事故で失って、一人一人の心の中は、どんな気持ちでしょうか。でも、それを表に出さず、明るく一生懸命勉強や仕事に取り組んでいる姿は、見ていて心が痛くなるほどでした。

24歳で亡くなったWさんのご冥福をお祈りするとともに、9名が無事に日本での研修を終えて、中国へ戻ることを願ってやみません…。
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一日中
2006/05/15(Mon)
今日からM社の研修生を対象にした日本語のクラスの仕事が始まりました。学生は全員中国人です。先週日本に来たばかり。彼らはこれからみっちり日本で会社の研修を受ける予定です。日本語の授業も毎日2時間あります。

しかし、今日はなぜか、朝8時半から夕方6時まで一日中日本語の授業のみの過酷な一日でした。こうなると、学生も辛いが、教師も辛い。集中力に欠けてきた学生を相手に授業をするのは、かなり大変です。もう、ちょっとやそっとの面白い話では、笑いもとれません。(T-T)

サバイバルのような一日を終えたときには、ほっとしました。一日中外国語の勉強なんて、私が学生だったら、先生がどんなにハンサムな人だったとしても、ご勘弁です!もう先生の顔も見たくなくなりますね!なのに、私は明日も彼らのクラスを担当します…。あ~、彼らも私に会いたくないだろうな~。ごめんよ!
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困った質問
2006/05/12(Fri)
昨日のクラスの学生の話です。

いつも授業が終わったら、あれこれ質問してくる学生がいます。彼はインド人。彼曰く、なんでも、タミル語と日本語は文法的に似ている部分があって、自分で勉強するときは、日本語の文を分解してタミル語に当てはめているんだとか。そして、「~しなければならない」の「なければならない」をばらばらにして、英語訳してほしいと言われました。

厳密にいうと、「なければ」「ならない」と2分割され、「もし~しなかったら」「だめだよ」っていうような意味になると思います。しかし!!!今ここでインド人学生のご希望通りに訳してあげちゃったりしたら、今後、新出の文型全てをこの方法で覚えようとするでしょう。そんなことしてたら、他の学生も大変迷惑するし、第一、彼自身、日本語が身に付かない。語学というのは、自分の国の言葉にいちいち置き換えながら勉強してたらダメなんです。その国の言葉をその国の言葉としてとらえなければ、身に付かないんです。

また、別の授業のときは、「~んです」という表現を勉強中にこんな質問。「~んです」の前に接続する動詞や形容詞、名詞の形が変わることが理解できなかったようで、「学生なんです」の「な」って何ですか?と聞かれました。私に代わって「それは活用の一部だよ」と説明してくれる他の学生たち。彼らはちゃっちゃと授業を進めて欲しがっています。しかし、やはりインド人の彼には、ここは納得してから先へ進みたい障害物だったのでしょう。休み時間もクラスメイト同士で話していました。

勉強にはいろいろなスタイルがあります。自分に合った方法で勉強することはとても大切。でも、語学に関していえば、とにかく自分が普段話している母語を捨てて、真っ白な頭で取り組むことと、反復練習、実践、これに尽きるような気がします。今まで、私も身に付かない外国語をいくつか勉強してきましたが、この3つの条件がクリアされていなかったんだな~と、つくづく感じます。だから、インド人の学生がこういう質問をしてくる気持ち、よく分かります。でもね、教える人の立場からすると、それじゃ上達しないよ~!って言いたくなるのよね。(自分が学生のときは、そんなことは棚に上げて、じたばたしたりするんですが…。)

これからも、どんな質問が飛び出してくるのか、楽しみではあります。
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世界の国から
2006/05/11(Thu)
4月から非常勤で日本語教師の仕事に復帰しました。今まで大学を卒業してからずっと日本語を教える仕事に携わってきましたが、なんと、日本で教えるのは今回が初めてであることに気づきました!日本に住んでいる学生は、毎日の生活の中で生きた日本語に触れているから、きっとハテナがいっぱいだろうな~、と思います。だって、日本語って、書き言葉(文語)と話し言葉(口語)、違いますよね。それに、男性と女性、大人と子供、それぞれ話し方は異なるし、話す相手に応じても変化するし。最近は、方言もそれなりの地位を得ていて、テレビでも普通に方言が使われているし、私にとっては意味不明なギャル語とかもあるし…。日本語を勉強する外国人は、本当に大変だろうな~。

今日のクラスは、T大学の生産技術研究所。このクラス、おもしろいことに、世界各国の学生が集まりました。中国、香港、韓国、ベトナム、スリランカ、インド、スロベニア、ノルウェー、スウェーデン、イタリア、アメリカ、エルサルバドル、チリ!これだけバラエティー豊かなクラス、本当に珍しいです。それだけに、お国の違いがいろいろ出て、授業もとっても楽しいです。例えば、「お酒は何歳から飲むことができますか?」と尋ねると、国によっては「何歳からでも大丈夫!子供も飲みますよ」とか。また、北欧の学生は「暑い~」と半袖なのに、スリランカの学生は上着を着ていても「寒い~。ヒーターをつけましたよ~」とか。

私が彼らを見て「へ~、そうなんだ」と、いろいろ発見がある以上に、彼らは日本での生活の中で、びっくりするような発見をし、いろいろ経験しているはずです。そうそう、前の授業で、こんな質問をされました。「先生、日本では電車の中で女の人が化粧をしてもいいですか?」(-_-# ほんと、素の日本を見ているから、恥ずかしいです。

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↑T大学の研究所。
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